団体紹介
昭楠会は昭和56年6月に発足し、活動歴は30年を超えています。活動の拠点は生駒西麓の上石切町の辻子谷(ずしだに)地域です。
昔は辻子谷越えの道は大坂から興法寺や生駒聖天宝山寺への参詣道であったそうです。大坂天満の八軒浜から舟で寝屋川をさかのぼり、徳庵堤を通って住道で恩智川に入り、「芝」の浜に着きます。そこから辻子谷越道で参詣しますが大変賑わっていたそうです。
またこの地域は生駒山西麓の急峻な地形にあり、一帯は生駒七谷といわれて水車が発達した地域でした。中でも辻子谷では音川の流れを利用した水車による製粉業が江戸時代から立地していました。大坂道修町の薬種問屋とこの水運と通じて繋がり漢方薬を生産する、「ものづくりのまち東大阪」の原点をここに見ることができます。
昭楠会では歴史、文化、自然に恵まれた地域にあって、様々な切り口のボランティア活動を通じて辻子谷における古き良き伝統を将来に語り継ぎ、地域コミュニティを活性化させる取組みを行っています。
活動の一つが水車の復元です。かつて最盛期には辻子谷に44輌もの水車があり、日本一の水車郷と言われていましたが、動力がモーターに取って代り、昭楠会の発足の直前に辻子谷から最後の水車が姿を消しました。昭楠会では活動目標に辻子谷の原風景を将来に継承することを掲げていましたので、平成12年から復元計画をスタートさせ長年温めてきた構想の実現に着手しました。資金をはじめ紆余曲折があったものの、平成16年11月に原寸大の復元水車が辻子谷に威容を現しました。
復元に当たっては平成16年度、17年度に東大阪市の地域まちづくり活動助成金を得たほか、21年度にも助成金を得て復元水車と周辺を一体的に整備し、22年3月に「辻子谷水車郷」として辻子谷の原風景を再現させることができました。これは「辻子谷の水車」として大阪ミュージアムの登録物にも認定されてました。
昭楠会の活動は地域の住民に限定していますので、市民の皆さんの誰でもが参加していただけませんが、このような活動の成果は市民の方どなたにでも接していただけるようにしています。石切駅から生駒山上に到るハイキングコース(辻子谷コース)添いに辻子谷水車郷があり、いつでも自由に見学していただけます。休憩所も設けていますのでお気軽にご利用ください。
昔は辻子谷越えの道は大坂から興法寺や生駒聖天宝山寺への参詣道であったそうです。大坂天満の八軒浜から舟で寝屋川をさかのぼり、徳庵堤を通って住道で恩智川に入り、「芝」の浜に着きます。そこから辻子谷越道で参詣しますが大変賑わっていたそうです。
またこの地域は生駒山西麓の急峻な地形にあり、一帯は生駒七谷といわれて水車が発達した地域でした。中でも辻子谷では音川の流れを利用した水車による製粉業が江戸時代から立地していました。大坂道修町の薬種問屋とこの水運と通じて繋がり漢方薬を生産する、「ものづくりのまち東大阪」の原点をここに見ることができます。
昭楠会では歴史、文化、自然に恵まれた地域にあって、様々な切り口のボランティア活動を通じて辻子谷における古き良き伝統を将来に語り継ぎ、地域コミュニティを活性化させる取組みを行っています。
活動の一つが水車の復元です。かつて最盛期には辻子谷に44輌もの水車があり、日本一の水車郷と言われていましたが、動力がモーターに取って代り、昭楠会の発足の直前に辻子谷から最後の水車が姿を消しました。昭楠会では活動目標に辻子谷の原風景を将来に継承することを掲げていましたので、平成12年から復元計画をスタートさせ長年温めてきた構想の実現に着手しました。資金をはじめ紆余曲折があったものの、平成16年11月に原寸大の復元水車が辻子谷に威容を現しました。
復元に当たっては平成16年度、17年度に東大阪市の地域まちづくり活動助成金を得たほか、21年度にも助成金を得て復元水車と周辺を一体的に整備し、22年3月に「辻子谷水車郷」として辻子谷の原風景を再現させることができました。これは「辻子谷の水車」として大阪ミュージアムの登録物にも認定されてました。
昭楠会の活動は地域の住民に限定していますので、市民の皆さんの誰でもが参加していただけませんが、このような活動の成果は市民の方どなたにでも接していただけるようにしています。石切駅から生駒山上に到るハイキングコース(辻子谷コース)添いに辻子谷水車郷があり、いつでも自由に見学していただけます。休憩所も設けていますのでお気軽にご利用ください。